うなぎとろろしらす

無職寄りのエンジニアのブログ

自分のキャリアを振り返ってみる

3月あたりから行なっていた転職活動が落ち着いてきた。

たぶん5月初めから新しい会社で働くことになると思う。

 

転職活動をするにあたって、これまでの自分の経歴を振り返ったりしたので、

いい機会なのでまとめてみたいと思う。

 

どこから書こうか迷ったが、一応ITのエンジニア的なことをしているので、

自分とPCとの関わりから書こうと思う。

 

 

中学〜高校時代

はっきり覚えていないが、中学の時に自宅に初めてパソコンがやってきた。

親購入のPC-9801シリーズだったと思う。

なにやら最新の機器ってことですごくわくわくしたが、

やっていたことと言ったらゲームだけだった。

簡単なものだと「花札」やら「テトリス」やら。

あと、輸入物の「イース」とか「プリンスオブペルシャ」なんかを、

みんなより一足先に遊んでたような。

この時、兄は既にPC関連の雑誌を買っていて、

読者投稿のゲームのプログラムを打ち込んでいたような記憶がある。

何ページにも渡って意味不明の文字列が並んでて、

こんなの一次文字も打ち間違えないで入力できるわけねーと思いつつ、

自分は既成のゲームで遊んでた。

 

大学時代

大学には一浪して入学。

時期ははっきり覚えてないが、この頃自宅にあったのは、

兄が選定して親が購入したGatewayのPCだ。牛の模様みたいなやつ。

今、検索してみたらまだ存在するのね。知らなんだ。

こいつが来てできるようになったことといえば、インターネットだ。

「Internet Explore」と「Netscape」全盛期である。

 

Yahoo!から色んなサイトを見て回るのが楽しくて楽しくて、

夜な夜なネットサーフィン(w をやっていた。

ダイヤルアップの音が懐かしい。

夜な夜なで思い出したけど、おそらくテレホーダイってもうあったよね。

 

音楽のファンサイトからアマチュアコピーバンドの情報を探し出してLIVEに行ったり、

とあるゲームのファンサイトのオフ会に参加してみたり。

(オフ会自体は雰囲気に馴染めなくて1時間くらいで帰って来た・・・)

この頃から兄や大学の先輩の影響でClubMusicにハマり出していた。

いまや夏フェスという言葉があるくらいメジャーなものになったが、

この頃はフジロックがまだ2〜3年目くらいだった頃で、

Club系の野外イベントはレイブと呼ばれていてちょっと怪しげな雰囲気もあり、

そのレイブに行くためにネットの掲示板で一緒に行く人を見つけて数人で行ったりした。

(この時に会った人達とは何年も続く遊び仲間となる)

 

そんな感じでインターネットは自分の生活において欠かせないものになった。

で、このホームページとやらはどうやらHTMLというやつで出来てるらしいというのを知り、

自分で個人のホームページを作成するために「サルでもわかる〜」的な本を一冊購入して

ホームページ作りをやって見たのが今の自分のエンジニアとしての原点だろうか。

 

就職(某T社)

就職はごく普通のSI企業だった。

特にやりたいことも無かったし、趣味のHTMLが活かせるとも思ってなかったし、

「理系=システムエンジニア」みたいな根拠のない思い込みから決めてしまった。

まぁそんな深い考えもなく就活をしていたので面接で落とされること落とされること。

唯一落とされることもなくぽんぽんと選考が進んで内定をもらった某T社。

どこで見つけてきたのかも覚えてないし、何を根拠に選んだのかも覚えてないけど、

もう面接で落とされるのはいやだし、就活に疲れてきたのでさくっと入社を決めてしまう。

 

その某T社で初めてプログラムを書くことになる。

C言語Visual Basic、C shell、ちょっとだけJava

あとはテスト資料作ったり、仕様書作ったり。

ジャンル的には鉄道系のシステムだったのでそこそこ全体の規模は大きかったと思う。

最初の2〜3年は必死にくらいついてやってたし、

そこそこ評価もされていたので充実していた。

 

ただその後は、ミスが続いたり、先輩・上司と合わなかったりで、

段々と仕事がいやになってきていた。

ミスは自分が原因なのでしょうがなかったが、

先輩になかなか話が通じなかったり、

上司が恫喝紛いのことを言う人だったりするのは本当に耐えられなかった。

そんな状況で自分の今後を考えた時に、大して興味もないプログラムや

システムの開発を続けて行くのが嫌になり初めての退職をすることになる。

この時も、上司がなかなか同意してくれなくて、

なんだかんだ半年は先伸ばされた。

この上司のことは今でもクソ野郎と思ってる。

 

転職活動(1回目)

ただ単に、これ以上今の仕事を続けたくないという理由で、

次の事を考えずに辞めてしまったので、次の就職まで5ヶ月くらいかかった気がする。

C言語はそこそこやったけどシステム開発はもうやりたくない。

自分には何が出来るんだろうって考えた結果、

趣味でやってたHTMLを書く仕事だったら興味はあるし出来るんじゃないかと思い、

未経験で雇ってくれそうな「HTMLコーダー」なる職種で求職することになる。

 

たしかFind Jobで探した3〜4社受けた記憶があるが、

何て名前の会社だったかまったく記憶にない。

その数社が受かったのか落ちたのかもよく覚えてないけど、

決めた会社が某C社である。

後に面接を担当してくれた先輩から、

「未経験だから上司には採用を反対されたけど、プログラムの経験があったから

まぁなんとかなるだろうって説得した」と聞かされた。

なんだかんだで1社目の経験が活きたのが嬉しかった。

 

WEB制作会社(某C社)

この会社。1社目から比べると規模も小さいし、組織としてのルールもとにかく緩くて、

とにかく入社した当初は不安しかなかった。

その不安がさらに増したのは、入社3日目くらいだったと思う。

翌日納品のメールマガジンのHTML版を、夕方くらいにデザインがFIXするからそれ組んでと言われた。

「いや多分自分間に合わないですよ」ってはっきり答えたと思う。

「出来るところまででいいよ」と言われた気がする。

が、気がついたら最後までやらされOK出たのが夜中の2〜3時だった。

入社数日目にしてタクシー帰りを経験し、こんなことやらせる会社 やばいんじゃないかと、まじで後悔していた。

 

そんな感じだったが、その後タクシー帰りをすることはほとんどなく、

朝もゆるーい会社だったので(11時くらいまでに出社すれば遅刻とみなされない)、

そんなゆるーい環境に慣れていって、気がつけば4年くらい経っていた。

その間に職種も「HTMLコーダー」から「マークアップエンジニア」と呼ばれるようになり。

HTML/CSSだけでなくJavascriptも書くようになり。

そこそこ経験を積んでいっていた。

 

この某C社に関しては、気がついたら経営状態が右肩下がりで会社が傾いており、

もう少しでやばいかもと言われていた1年後とかにはあっさり倒産してしまった。

二度目の転職活動である。

 

転職活動(2回目)

前回の転職活動時と違って、今回はやりたいことは決まっていたので、

活動自体はそこそこ順調にいったと思う。

制作会社も事業者もどちらも数社受けて、いくつか内定をもらった。

ある程度経験も積んでいたし、年齢も30そこそこであったこともあったし、

企業としては即戦力プラス将来性も見込めるちょうどいい塩梅の人材だったんじゃなかろうか。

 

WEB制作会社(某R社)

前職である某R社。

WEBの制作会社としてはそれなりに老舗だったぽい。

社員数も60〜70名と、多過ぎず少な過ぎず。

社員全員の顔と名前が一致するちょうどいい人数だ。

ここでは5年ほど働くことになるが、

主に新規のサイト制作を多く担当させてもらって、

仕事内容に関してはあまり文句は無かった。

まぁ不満に関しては人数が多い分、人間関係やら、会社の規則的な部分で

なくは無かったが、総じていい会社だったんじゃないかと。

 

で、この某R社を辞めて今回の転職活動に突入するんだが、

まぁその辺の経緯はひとまず書かないでおきます。

 

 

最後に

こんな感じで、初めから自分のキャリアプランが明確にあったわけじゃないけど、

なんとなく「マークアップエンジニア」「フロントエンドエンジニア」っていう

手に職がついたのは結構ラッキーだったんじゃないかと。

今後、この職種がどうなっていくのか、この職種の人たちがどういうキャリアパスを描いて行くのか、

未知の部分が多いけどしばらくはがんばってしがみついていきたいと思ってる。